※敬称略
デザイナーって?
ファッションデザイナーからWebデザイナー、DTPデザイナーへ。
デザイナーのイメージ。
MacやWindowsなどの家庭用コンピュータが現れる前までは、日本で「デザイナー」と言えば、「ファッションデザイナー」のイメージが強かった。
現在は「デザイナー」と言えば、パソコンを使った「Webデザイナー」や「DTPデザイナー」を指すことの方が多く感じる。
日常生活でもそうだが、求人情報、ネットで「デザイナー」で検索してみると一目瞭然。
これは日本に限ったことではないようで、google.comや画像サイトなどで「designer」と検索してみると、やはり同様の結果となる。
衣食住とインターネット社会。
約100年前のドイツにあった美術系の学校で有名な「BAUHAUS(バウハウス)」では、「建築デザイン」が重視されていたという。
ファッションデザインや建築デザインは、生活に欠かせない「衣食住」に直結している。
現代の「情報化社会」においても、Webデザインはやはり生活に直結する。
これらはこれらで時代のニーズの変化なので別に不自然なことではないと思うが、「デザイナー」のイメージや価値は低くなっているようには確実に感じる。
デザイナーなのに、ゴッホとピカソの違いがわからない?
パソコンのイメージとデザイナーの知識。
世間のイメージとのギャップ。
デザイナーの価値の低下は、絵画や建築と違い、一般層までのパソコンやスマホの普及と、パソコン(機械)でやるんだから簡単でしょ的なイメージが定着してしまっていることが想定される。
反面、デザイナー自身にも起因している。
基本的な知識や基礎技術、歴史に関してあまりに無知であることが多々ある。
デザインの敷居の低さ。
紙媒体やWebの場合、ダサくてボロくても良いのなら、基礎知識やデザインツールの使い方すらままならないうちにでも、チラシやサイトが作れてしまう。
ファッションでの人目に付くほどのダサさや機能性の欠落、建築物での崩壊の危険性などがない。
人脈があれば、なんとなくすぐに仕事ができてしまうということも問題かもしれない。
「資格」や「免許」がなくても職業にできることも(それが良さでもあったが)、問題かもしれない。
特にWebデザインで違和感があることとして、例えばゴッホとピカソの違いがわかっていない人が多い。求人情報の内容でも美術の基本を知っているかどうかの条件がある内容を見たこともない。
日本の美の消滅と近代教育。
美術や芸術の歴史や技術の土台。
美と歴史。
日本古来の美しい建築や服飾や風景がいまではすっかり失われてしまったように、Webサイトの世界に美しいサイトというのは意外と少ない。
欧米からの影響や利便性により日本の浮世絵や着物文化への無知はある意味仕方がないとは言え、ゴッホとピカソの違いもわからないままWebサイトを作ってしまうのは、デザイナーとしてはどうかと思う。
美大でなくても義務教育で。
別に東京藝術大学や武蔵野美術大学などの有名芸術大学へ行かなくても、ゴッホやピカソなどの有名人は日本の義務教育で習うはず。なのに、それを活かせていない気がする。
ゴッホやピカソだけではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチも、名前やモナ・リザくらいしか知らないデザイナーもいるだろう。
画像出典:Wikipedia
浮世絵と、そこで使われていた理論や技術。
北斎や写楽もそうだろう。
画家の名前を知っているから偉い、マウントを取れる、ということではなく、彼らが使った技術、例えば色の扱い方や塗り方、黄金比や色相環、遠近法などを知っておくとデザインの役に立つ。
仕事としての制作物がほぼないのにも関わらず、平気でデザイナーやクリエイター、アーティストと名乗っていたりして、自信は満々という場合もある。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
自身のモチベーションを上げるためだったり、相手に伝わりやすいように名乗るのならまだしも、結果を残しているわけでもないのに、結果を残している先人から学ばないのは、勿体なさすぎる。
WebデザインでもDTPデザインでも、センスの良い人から見たときによく「余白の使い方」が問題となるが、そういう問題を解決したり予防したりできるのだ。
モナ・リザを見てスフマートの効果を学べば自然とどぎついグラデーションやシャドウを使わないようになるし、神奈川沖浪裏を見て学べば江戸時代でも遠近法や黄金比を取り入れた設計がされていたことがわかる。
画像出典:Wikipedia
芸術と商業デザイン。
アートとビジネス?
ルネサンスから商業デザインだった。
よく、「芸術」と「商業デザイン」とは違うとも言われる。
本当にそうだろうか?
本質としては、違っていたら逆におかしい。理屈が合わない。
最初から芸術家だったわけではない。
ピカソは一時、ゴッホは生前はほとんど絵が売れない無名画家で、生活費は弟のテオに頼っていた。
そのずっと前、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵の数も、芸術家としてはあまりに少ない。
また、どちらかといえば「彫刻家」であったはずのミケランジェロも、仕事としての依頼により多くの「絵画」を描いたりしている。
なので、彼らもある意味では生活のために描いた「商業デザイン」だったと言える。
趣味ではなく職業として、食べていくために、依頼を受け、制作をしていた。
仕事から始め、食べて行ければ芸術家へ。
決して最初から「芸術家」ではなかったのだ。
彼らに共通するのは、幼少時の家族や親族の文化・環境的影響や、基礎練習や技術の鍛錬、歴史や先人を勉強していることなどである。
ピカソやラファエロは父親が美術教師や画家であり、ミケランジェロも石の仕事に囲まれた環境下で生まれ育ったが、レオナルドは師匠がいる工房に入り、ゴッホは弟が画商でかつ油彩ではあり得ないくらいの数の枚数を描いている。
若い時期に基礎的な数をこなしているということだ。
基礎と反復の量。
スポーツや学業でも、「反復」をせずに結果を残すことなどまずありえない。
だが特にWebデザインの場合は歴史が浅く、情報も過多でかつあやふやであり、その影響なのか基礎・基本が圧倒的に足りていないと感じることがある。
これでは自分のスタイルを築き上げたり、一貫性や再現性がなくなったりするのではないだろうか。
搾取と対価の量。
結果、やりがい搾取や、対価の低さにもつながる。
美術の先人たちを知らないように、HTMLの生みの親であり、現在も普通に存命のティム・バーナーズ=リーや、CSSの生みの親であるホーコン・ウィウム・リーを知らないWebデザイナーやコーダーも結構いるだろう。
なんだか、「デザイナー」が美や技術を知らない、マニュアルに沿るだけの「オペレーター」になってしまいそう。
イチローやベーブ・ルースを知らない野球選手や、中田英寿やペレを知らないサッカー選手はいるだろうか?
以上、参考になれば幸いです。
※Webデザインは実務数年、職業訓練校講師数年、フリーランス数年、計15年以上のキャリアがありますが、一気にがぁっと書いているので「です・ます調」ではありません。(元々はメモ書きでした。) ※事実や経験、調査や検証を基にしていますが、万一なにかしら不備・不足などがありましたらすみません。お知らせいただければ訂正いたします。 ※写真は主にUnsplashやPixabayのフリー素材を利用させていただいております。その他の写真や動画もフリー素材やパブリックドメイン、もしくは自前のものを使用しております。