日本人選手がメジャーリーグで期待値を超えられるかどうかの基準。 / いがわ

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前例としての村上雅則選手の恩恵。

日本人初のメジャーリーガーは1960年代の村上選手だが、今とは状況が違い、デビューはイレギュラー的な出来事だった。

当時の南海ホークスからアメリカへ行った経緯も、その後マイナーリーグからメジャーリーグへ昇進した経緯も、村上選手本人の意思や成績のためではなく、いわば「交流」、「お試し」、「補充」みたいな役割だった。

ただし、村上選手に実力がなかったというわけではなく、メジャーリーグでの2シーズン目の1965年に、4勝1敗8セーブ、防御率3.75という及第点以上の記録を出している。日本に戻った後も何度か2桁勝利を挙げ、100勝以上で防御率も3点代半ばとこちらも及第点以上の記録を残している。

ちょうどその頃に、1965年から長嶋茂雄選手と王貞治選手を擁する巨人のV9時代が始まり、巨人中心、セ・リーグ中心に日本のプロ野球が盛り上がっていった時期となった。なのでメジャーの関心度は今よりもずっと薄かったはずだ。

そして同じくその頃、1968年に、後にパイオニアと呼ばれる、野茂英雄選手がこの世に誕生している。


メジャーリーガー出現前夜の時代。

江夏豊選手。

1シーズンに401奪三振という日本記録を保持している江夏選手。80年代の引退後にメジャー挑戦をしているが、晩年かつさすがに準備不足だっただろう。それでもシーズン401奪三振はノーラン・ライアンのメジャーリーグ最多記録よりも上である。(野球のルールが違う1800年代を除く。)

秋山幸二選手。

メジャーに一番近い男と呼ばれていた秋山選手は、マイナーリーグへの派遣経験もあり、日本でレギュラーを取ってからも毎日メジャーの結果をチェックしていたという。マイナー時代の同僚のホームラン数を新聞上で確認していたとも本人が語っている。

実際にMLBでホセ・カンセコ選手が史上初の40-40を達成する前年に、秋山選手は日本でホームラン43本、盗塁38個の40-30を記録し、その後に30-50も達成している。

落合博満選手。

当時の日本プロ野球でNo.1のバッターであり日米野球の常連でもあった落合選手も、結局海を渡る決意はせず、そのまま日本で活躍した。外国人選手のツテで情報収集などもしたことがあったそうだが、落合選手もやはり、メジャーは準備不足だっただろう。

落合選手自身も近年何度も、もし仮にアメリカへ行っていたとしても活躍できなかっただろうという旨を公言している。

MLB公式球。

1990年以降で、3年以上連続で主要タイトルを獲得しているか?

野茂英雄選手。

野茂選手は日本プロ野球入団前から非常に評価が高く、史上最多の8球団からドラフト1位指名を受けた。とにかく驚くのは、1年目から期待以上の圧倒的な成績を上げすぐに大フィーバーを起こした。

いきなりのMVPと沢村賞受賞、そこから4年連続で最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得している。(恋愛ドラマで柳葉敏郎さんが演じる役名が「野茂」だったりもしている。)

この、1990年以降で、3年連続以上、主要タイトル複数の獲得が、いわゆるメジャーで通じるかどうかの指標となる。

タイトルを獲得するということは、集団の中で1番の成績を残すということであり、3年目以降は取って当たり前となり、相当のプレッシャーがかかる。ディフェンディングチャンピオン的な位置ともなり、本人の全く知らないところで、他者からライバル視されていたりするのだ。

3年以上の複数分野での1位継続は、非常に難しいのだ。野球に限らず、他業種他分野でも3年結果を出して一人前と呼ばれることがあるように、まさにその言葉通りなのだ。これは経験者でなければわからないかもしれない。

また、1990年代から年俸は右肩上がりなので、3年以上連続で主要タイトルを獲得していれば、経済面でも余裕を持てる。野茂選手は大幅ダウンの契約でも構わず渡米している。

イチロー選手。

その後にフィーバーを起こすほどの活躍をしたのは、日本で7年連続で首位打者を獲得したイチロー選手だ。やはり、1990年以降で、3年連続以上、主要タイトル複数の獲得を記録し、さらに遥かに上回る7年連続という日本記録を経験している。

イチロー選手も傑出度が圧倒的で、調子が悪くてもタイトルを取れてしまうのは問題だというような高次元な発言を、自分自身で言わざるを得ないような状況だった。

松坂大輔選手。

次は松坂選手。高卒プロ1年から、1990年以降で、3年連続以上、主要タイトルの獲得を達成しているが、連続は最多勝のみで複数ではない。甲子園での圧倒的な活躍のイメージがあまりに印象的で、プロで結果を残しているのにも関わらず、甲子園のイメージの方が強いかもしれないという稀有な選手でもある。

大谷翔平選手。

そして次にフィーバーを起こしたのは、打って投げる二刀流の大谷選手。大谷選手は1990年以降で、3年連続以上、主要タイトル複数の獲得を達成していない。スタイルが二刀流なので、最初からタイトルを撮るのは難しいと言われていたので例外となる。

ただしフィジカルのスペックも例外で、日本人平均よりも20cm以上も高い、193cmもの身長がある。

かつ環境面も、両親が元社会人野球選手で少年野球の監督と、元社会人バドミントン選手、年の離れた兄が先に野球をしており、かつ姉もいるという「末っ子」という恵まれた家庭環境に育っている。

日本では長男の野球選手、特に打者の主要タイトル獲得者はおそらくひとりもいない。

古い時代では王貞治選手、長嶋茂雄選手、野村克也選手、張本勲選手、その後の山本浩二選手、落合博満選手、さらにその後のイチロー選手、松井秀喜選手、金本知憲選手、青木宣親選手は全員が「末っ子」として育っている。(主にWikipedia調べ。王選手は幼少期に妹さんが死別されている。)

かつ本人の人格も聖人君子ではなく、程よく素晴らしい、かっこいい、愛らしいという感じで、ファンだけでなくスポンサーからの人気がすごい。

NPBでは前例のない二刀流で、史上初の2桁勝利2桁ホームランを2度達成している。

大谷選手は、ちょっと次元が違う。

メジャーリーグのボールパーク。

メジャーリーグでプレーする自分をイメージできているか?

野茂英雄選手。

アマチュア時代から国際試合の経験が豊富で、海外での活動に慣れや知識がある。なので異国の地で生活し、結果を出すことは十分イメージできたはずだ。

またアメリカ側のドジャースという球団はアジア人選手の獲得に積極的であり、1980年代に中日ドラゴンズとも業務提携しており、野茂選手渡米前年の1994年には韓国人選手の朴賛浩選手とも契約している。

この背景も野茂選手にはアウェイ感を薄める効果を与えたはずで、そこにすでに4年連続で主要タイトルを獲得している(集団の中での1位の獲得と数回の防衛を経験している)という実績から、ある程度はやれるという自信もあっただろう。

メジャーリーグの球場でプレーする自分の姿をイメージすることは比較的容易で、むしろドキドキ・ワクワク感の方が強かったと思われる。

そして実際にメジャーでも1年目から野茂フィーバーを起こし、オールスターで先発し、シーズンでも最多奪三振と新人王とを獲得する。

その後もノーヒットノーラン2度、奪三振王にも2度目を獲得するなどという大きな活躍をしており、結果的に日本人メジャーリーガー最多勝利を保持している。

野茂選手は一見個人主義的なイメージもあるが、チームの勝利を優先していたとチームメイトが公言しており、実際に勝利数や完投数も多い。

イチロー選手。

イチロー選手は国際経験は薄かったが、野茂選手に続いたメジャーリーガーが多数いたり日米野球が盛んな時期だったりで、実際の渡米の数年前からすでにかなり明確に準備をしていた。映像のチェックや移籍方法だけでなく、ストライクゾーンをメジャーに合わせて外に広く取ってもいたという。

またアメリカ側のマリナーズという球団は日本企業の任天堂が筆頭株主でオーナーであり、1990年代にオリックスブルーウェーブとも業務提携しており、デビュー前に招待選手として春季キャンプにも参加している。

この背景も野茂選手同様にアウェイ感を薄める効果を与えたはずで、そこにすでに7年連続で主要タイトルを獲得している(集団の中での1位の獲得と数回の防衛を経験している)という実績から、ある程度はやれるという自信もあっただろう。

メジャーリーグの球場でプレーする自分の姿をイメージすることは比較的容易で、やはりドキドキ・ワクワク感の方が強かったと思われる。

そして実際にメジャー1年目からイチローフィーバーを起こし、オールスターで先発し、シーズンでも首位打者と盗塁王、新人王とMVPまで獲得する。

その後も2度目の首位打者、10年連続で3割、200安打、GG賞、オールスター出場などという大きな活躍をしており、結果的に日本人メジャーリーガー最多安打を保持している。

松坂大輔選手。

甲子園で大活躍するなど全盛期が若い時にあり、国際試合でも活躍していたが、メジャー挑戦時はすでにピークを過ぎていた。大卒の選手であればピークを過ぎた後でもメジャーでも活躍している選手もいるが、ピークを過ぎた高卒の選手は、人生の浮き沈みの経験が浅いためか、苦労している選手が多い。

大谷翔平選手。

大谷選手も国際経験は薄かったが、投手の野茂選手や打者のイチロー選手に続いたメジャーリーガーが多数いたりインターネットが普及した時期だったりと情報が豊富で、かつ高校時の指導者の知識などで、実際の渡米の数年前からすでにかなり明確に準備をしていた。

メジャーリーグの球場でプレーする自分の姿をイメージすることに関しては、プロに入る前の高校生の頃から、すでに始めていただろうが、そのイメージは高校時の目標達成シートや人生設計などに書かれているようにあくまでも投手一本だったはずなので、やはり例外となる。

例外というよりも、時代的にも身体的にも家庭環境的にもかなり恵まれており、プロ野球界でも結果を出すことが多い末っ子という、これも非常恵まれている。

その上精神面でも奢らずかつ真面目過ぎない気質な性格でもあるので、大谷選手は色々と別格というか別枠な感じだ。

よくベーブ・ルース選手と比較をされるが、両親が移民で父親が酒場経営で忙しく母親は身体を弱め、兄弟は幼くして亡くなるなどの環境下で不良の悪ガキとして育ってしまい、さらに7歳で施設に入れられその施設で育ち、神父のマシアスさんに会ってようやく野球を教わったルース選手とは全くの真逆で、父親や兄が社会人野球選手で父は少年野球の監督で母は全国レベルのバドミントン選手でもあったというスポーツ一家、特に野球のエリート育ちのかわいい末っ子の悪ガキでもある。(日ハム時代に上沢選手がくそガキと言っている。もちろん冗談半分もあるだろうが、良い感じの人たらしなのだろう。)

異国の地に住む前に、円満な結婚をしているか?

これも大きな基準となる。渡米する前に円満な結婚をしていれば、2人で野球に集中できる。もししていなければ恋人探しの時間が必要となり、もし不仲であれば、野球の前にまず日常生活に苦心することになる。朝起きた時や家に帰ってきた時にご飯が用意されているか、住居は清潔に掃除されているかなどは、仕事のパフォーマンスや奥様を大切にしようという気持ちに直結する。

野茂選手は近鉄入団前から交際していた方と渡米前結婚しており、その後離婚もしていない。息子さんも社会人となってから日ハムで通訳をしていた時期がある。

イチロー選手もやはり渡米前に現在のご夫人と結婚している。不和のイメージもない。

大谷選手はここでも例外で、結婚はしていないが、通訳の水原一平さんが、通訳の枠をはるかに超えた、野球の練習相手や私生活のサポートまでしている。(水原さんは渡米のタイミングで結婚。) ロックアウト中に選手と接触できない時期には、大谷選手と接触するために一旦エンゼルスを退団してまでサポートしている。(ロックアウト解除後に復帰。)


3年以上連続の1位を経験しておらず、プレーするイメージもなければ、ロードの場ではパフォーマンスを出せない。

いつでもどこでもパフォーマンスを発揮できるか?

3年連続主要タイトル獲得を経験していないが、新庄剛志選手や田口壮選手、斎藤隆選手、上原浩二選手などは、通用しないだろうという意見が多い中で、期待値以上の成績を残し、チームの優勝にも貢献している。

また、伊良部秀輝選手、吉井理人選手、松井秀喜選手、黒田博樹選手、ダルビッシュ有選手、田中将大選手、岩隈久志選手もある程度、平均以上の成績は残しており、指導面や理論面、存在感での影響も有意義だ。

渡米時に未婚や離婚経験のある選手もいるが、喧嘩別れではなく、やはり家族的には円満なイメージがある。

(伊良部選手に家族のサポートがあったら結果は全く違っていただろう。)

ということは、つまり、3年連続で1位というプレッシャーを乗り越えており、さらに奥様や家族のサポートがなければ、本来の能力を発揮するのは難しいのだ。母数は少ないが、統計的に見るとそうなっている。おそらくは野球界以外でも当てはまるだろう。

誰よりも速い球を投げるとか、誰よりも変化する球を投げるとか、誰よりも早く動くとか、誰よりも遠くへ飛ばすというのはもちろん重要だが、それよりも優先される能力はいつでもどこでもパフォーマンスを発揮できるか?にある。

見る側、起用する側としては、ロード(アウェイ)であろうがホームであろうが、夜であろうが昼であろうが、数字で結果を出してくれることを期待する。この期待値を超えてくるかどうかが、一つの大きな鍵となる。

結果的に期待値を超えた大活躍をしたのは、

  • 1990年以降で、3年連続以上、主要タイトル複数の獲得を経験しているか?
  • メジャーリーグの球場でプレーする自分の姿をイメージできているか?
  • 渡米する前に円満な結婚をしているか?

となっている。なので、どのくらいの活躍ができるか?いつでもどこでもパフォーマンスを発揮できるか?という目安には、このことを基準とすることができる。


新たな、3年連続以上、主要タイトル複数獲得選手。

山本由伸選手。

オリックスで3年連続投手4冠を達成した山本由伸選手が、ドジャースへ入団が決まった。山本選手は未婚以外では、期待値を超える基準を達成しているが、果たして結果はどうなるだろうか?

彼は身長が180cm未満であり、投手としては小柄だが、「末っ子」である。さらに、実家の隣に2023年パリーグ首位打者の頓宮裕真選手が住んでおり、幼少期から仲が良かったという。

投球の練習にはタブーとされていた「やりなげ(ジャベリックスロー)」を導入している非常にユニークな選手でもある。

個人的には、彼がジャベリックスローを取り入れたきっかけになったという、ケガのないシーズンを送って欲しいと思います。

メジャーリーグのナイトゲーム。

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井川 宜久 / Norihisa Igawa
デザイナー、ディレクター、講師、コーチ / 井川宜久

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