ノーコードは必要なのだろうか?ノーコードはなぜ広がらない?デザイナー、コーチ、ディレクター / いがわ

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Memo

WordPressの記事投稿で自動的にpタグが入らないようにする、わずか1行のコード。

ここ数年話題のノーコード。

敬称略

オーサリングとノーコード。

ここ数年Web業界でトレンドとなっている「ノーコード」。その名の通り、わざわざコードを書かなくてもカッコよくおしゃれなサイトが作れちゃう、というような一見最先端な技術。

と、言われているような雰囲気だが、そもそも同じようなことは20年ほど前も謳われていた。HTMLやCSSが分からなくても、ホームページビルダーやDreamweaverなどで簡単楽々にホームページを、という感じで。

だが、実務の現場では流行らなく、普及もしなかった。その当時と似ているような気がする。言葉が「オーサリング」から「ノーコード」に変わっただけ、というような感じが否めない。

ノーコードはなぜ未だに広がらないのか?

MTとWordPress。FlashとiPhone。デバイスとディスプレイ。

Web業界は技術の進歩や変化が早い。CMSの定番だった「Movable Type」は数年で「WordPress」に移行され、全盛を誇っていた動画ソフト・プラットフォームの「Flash」は「iPhone」の登場によってやはり数年で消え、ディスプレイも同じくほんの数年で「レティナディスプレイ」、「高解像度ディスプレイ」に入れ替わった。

iPhoneの普及も速く、後発のAndroid搭載のスマホ普及もあっという間だった。
コーディングを行うエディタも、やはりほんの数年で「Dreamweaver」から「VSCode」に入れ替わった。

なのに、ノーコードは数年経っても、普及している感じがない。


ノーコードはなぜ普及しないのか?

WordPress > STUDIO。

いわゆる「ノーコードツール」である「Wix」や「STUDIO」などを、ネット上で見ることはあまりないだろう。全くないわけではないが、数は少ない。
「WordPress」の方が確実に多い。「WordPress」もノーコードツールの側面があるが、コードを書ける「コーダー」は、常に人材募集されている。

どうしてこのようなことに、歴史は繰り返すようなことになっているのだろうか?

Web制作会社の仕事がなくならないように、という理由もあるかもしれないがが、「ノーコード」はとにかく「カスタマイズ」の精度がよくない。

思い描いたデザイン通りにするのが余計に大変なのだ。

ノーコードはなぜ未だに広がらないのか?

マルシェかファーストフードか。

なのでカッコいいサイト、おしゃれなサイト、便利なサイトを作るためには、まだまだ人の手間が不可欠となるのも当然だろう。

また、他業種を見ても、あまりにオートメーション化・マニュアル化された作りの大衆車や、大量生産されたファッション、どこにでもあるようなファーストフードを求める人たちは、多数ではなく一部の人たちの間の需要とも言える。

現実として、おしゃれな人たちやお金に余裕のある人たちの多くはノーマルな大衆車には乗らない。どこかで見たようなファッションもしない。

グルメな人たちもお手軽なファーストフードばかりを食べたりしないのだ。

これらもすでに何度も歴史が証明している。

ノーコードはなぜ未だに広がらないのか?

会社やデザイナーからするとむしろノーコードの方が楽で良い。

文業化と現実社会。

通常Webサイトを作る際は、職種が分かれているように、デザイン担当者とコーディング担当者がいる。つまり会社側としては人件費が2人分かかる。

なのでノーコードで済むのなら、むしろノーコードの方が安上がりとなる。デザイナー側としても自分で最後まで完成させられるので達成感もあるだろう。

だが、現状はそうはなっていない。

規模の小さな会社では、ノーコードどころか、デザインとコーディングが1人で行われている。

AIもそうだが、まだまだ技術力が追いついていない。AIブームも何十年も前から繰り返し起こっているが、映画や漫画と違い実社会では未発達すぎる。

コンピュータやAIはコードで書く言語、プログラムがありきなので、変に人間の技術力が落ちてしまわないよう、あえてそうしている、という側面もあるかもしれない。

シンギュラリティなどまだまだ先のことであり、それが本当に起きるかどうかも分からない。

ヒトゲノムも全解析が終わったという発表が何度かあったが、未だ1本の歯も作れていない。もし歯が欠けて歯医者へ行っても、自分や誰かの遺伝情報を基に歯が再生されるわけではなく、まだまだ人口素材の歯が必要となる。

遺伝子治療については倫理面での問題も大きいので、これもAI同様段階を踏むべきで焦る必要もなく、焦ったところですぐに実現できるわけでもない。

よく勘違いされているのが、例えば好きな著名人や亡くなった親族の遺伝情報がわかったとしても、性格や記憶などの個性は全く異なる人物となる。外見が似ているだけだ。一卵性双生児の遺伝情報は同一だが、性格や思考が違うように。

ノーコードはなぜ未だに広がらないのか?

社会はコードを書く人を求めているのでは。

自然選択とその結果。

なので、まだまだ人が自分でコードを書く必要があるのだ。

コードを書くのが好きだという人もおり、ウォズニアックやジョブズ、ゲイツ、ザッカーバーグやマスクのように実際に自分でプログラムを書くことから始め、その後に日常社会を変えるほどの影響力を持つ企業を生み出す世界的な経営者になった人物が何人もいる。

そのような彼らが、優秀なコーダーやプログラマーよりも、「ノーコード」が好きと言うだろうか?

逆にデザインから始め、世界的企業の経営者となった人物は、WebやITの業界にいるだろうか?

ノーコードはなぜ未だに広がらないのか?


Webデザインは実務数年、職業訓練校講師数年、フリーランス数年、計15年以上のキャリアがありますが、一気にがぁっと書いているので「です・ます調」ではありません。(元々はメモ書きでした。) 事実や経験、調査や検証を基にしていますが、万一なにかしら不備・不足などがありましたらすみません。お知らせいただければ訂正いたします。 写真は主にUnsplashPixabayのフリー素材を利用させていただいております。その他の写真や動画もフリー素材やパブリックドメイン、もしくは自前のものを使用しております。

デザイナー、ディレクター、講師、コーチ / 井川宜久

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